[8回]

恋は人を馬鹿にする　（世良渡海）


「渡海先生、ちょっとお話があるんですが。」
緊張の面もちで世良が渡海の根城に入って来た。
「お、何だ？」
渡海は気軽に返事をしたものの、世良の表情を見て『ん？』と思った。
緊張してはいるが、その瞳は何かを決心したような力強さがこもっている。ひよっ子と子供扱いしていたが、一端の男の顔をしている事に、渡海は少なからずも感心した。
「どうした世良ちゃん。顔が変だぞ？」
渡海はわざと軽い口調で尋ねた。
「じ、実は…渡海先生にお願いがあって……」
「ふうん…何だ？」
「あの…俺……」
余程のことなのだろうか。世良は両手の拳を強く握りしめている。こんな若造にこんな顔をさせる決心とは一体なんなのか、渡海は興味をそそられた。


「と、渡海先生！俺と付き合ってくれませんか！！」


「………。」
渡海はたっぷりと３０秒は沈黙した。
「…せんせ」
「どこに付き合うんだ？蓮っ葉通りの風俗でも行きたいのか？」
「違いますっ！そういう付き合いじゃなくて……」
「解った。ちょっと黙れ。」
渡海はまじまじと世良の顔を見つめた。
「…高階のヤツ、こき使い過ぎだな。」
渡海は盛大な舌打ちと珍しく大きな溜め息を吐き、首を振った。世良は何故ここで高階の名が出るのか疑問な顔だ。
「お前、あいつの言いなりに何でも律儀にやってんだろ？まぁ、お前の性格じゃ手なんて抜けねぇよな。」
「？」
「俺が高階に言っといてやるから、今日は帰って休め。お前はオーバーワークで脳味噌がブッ飛んでるんだ。」
呆れかえった口調で世良をいなし、渡海は子犬でも追い払うかのような手振りをした。
「先生！疲れてもいないし、冗談でもないです！俺、本気なんです！」
世良は必死で渡海の食らい付いた。このチャンスを絶対に逃すまいと、勇気を奮って渡海に詰め寄る。
自分の目の前まで来た世良の顔を、渡海は今度こそ穴の開きそうなくらい見つめた。

確かに冷静とはとても言えない状態だが、目は最初に見た時と同じく力強さがある。過労でキレた人間の目ではない事は確かだった。
「………お前、ゲイだったのか？」
渡海がたっぷりと考えて出た言葉がコレだった。
「ち、違います。渡海先生だけです…こんな気持ちを持ったのは。」
照れながらもあくまでも真剣な眼差しを向ける世良に対し、渡海は内心で『コイツ、重傷だ』と嘆息した。
若い男が十も年上の男に告白するなんて、正気の沙汰とは思えない。が、目の前の男は至って真剣だ。
渡海としては世良の『若気のいたり』なんかに付き合う気は更々ない。
さっさと挫折して立ち去ってもらいたかった。


「じゃあ、これでどうだ？」
渡海は世良の襟元を乱暴に掴むと、自分へ引き寄せ強引に唇を奪った。


「！！！」
一瞬の出来事に、世良は目を白黒させ表情が固まった。
その様子を見て、渡海はしてやったりの顔になる。
「な？男の唇なんて柔らかくもなけりゃ、美味くもないだろ？やめとけ、やめとけ。そんなの気の迷いに決まってる。今度可愛い子を紹介してやるから。」
世良の想いを若さ故の過ちと決めつけ、殊更面倒くさそうに言い捨てた。
世良はしばらく言葉を失っていたが、やがてその顔に朱がさしてきて…
「……かい………」
「ん？」
「…もう一回お願いしますっ！！！」
「はぁっ？！」
「一瞬で解らなかったから、もう一回お願いしますっ！！」
ここに来て世良は、渡海を絶句させるという偉業を成した。

「先生、もう一度お願いします！」
迫った世良の勢いに押されて、渡海はソファに沈み込んだ。もうこうなると唖然として呆れる他になかった。
気付けば世良との距離が再び縮まっている。
渡海はクソ真面目な声で一言呟いた。

「お前は…本物の馬鹿だったんだな……」

それ以外、今の世良につける形容詞は無かった。
馬鹿は馬鹿でもここま真剣になれれば立派なものだ…とすら思ってしまった。
そして昔の誰かの格言に大いに賛同した。


結局、後に絆されてしまった渡海が『俺も相当馬鹿だな』とこっそり苦笑をこぼしたのは秘密の話。