願い事、ひとつ
オレンジの2階、小児病棟のナースセンターの前には色とりどりに飾られた笹。
季節の風物詩の到来である。
「今年も力作ですね。」
小児愚痴外来を開設してからここに足を運ぶことが多くなった田口は笑顔で笹を見上げた。
「こういう行事は子供達には大事ですからね。毎年気合いが入りますよ。」
そう答える看護師は子供達の短冊を丁寧に笹の葉に下げていった。
『お嫁さんになりたい』 『もっとおかしがたべたいです』
なんて微笑ましいものから
『はやくびょうきがよくなりますように』 『もっとママにあいたい』
など、切実で胸の詰まるようなお願いまで様々だ。
すべてに言えるのは子供は正直だという事。建前や格好をつけることを覚えてしまうとこんなにストレートなお願は書けない。
大人になるとはそういうことなのだろう。
「田口先生も一枚書いて下さいよ。」
「え?」
気合いの入った看護師にうっかり青い短冊とペンを持たされてしまった。
―――『家内安全』?ここは家じゃないし…『商売繁盛』?違うな。病院が繁盛しちゃまずいよな。医者の良識が問われる。
突然言われると思い浮かばない。やっぱり大人になると頭が固くなるのか…。
結局悩んだ挙げ句、書いたのは…
『病魔退散』
子供達の病気の治癒を願ったのだから、間違いは無いと思う。
しかしこの短冊を渡された看護師は非常に珍妙な顔になって
「…何だか妖怪退治のお札みたいですね。」
と笑いを噛み殺していた。それでも気持ちは伝わったのだろう。
「先生からの有り難い短冊は、願い事が届きやすいてっぺんに付けましょうね。」
なんて言われてしまった。
「おう、行灯!願い事か?」
「速水!何だよ急に…」
この男はいつも田口を驚かせる。そんなことはお構いなしに飴玉の棒を口から突き出してニヤニヤと笑いながら近付いて来た。
「ナニナニ?こいつの書いたの見せてみろ。」
看護師から短冊を受け取ると、速水は一瞬きょとんとしてその後大爆笑した。
「おまっ、そんなに笑うことないだろ?!」
「『病魔退散』て……どっかの神社のお札じゃねぇんだから………あ~、ウケる!!」
さっきと同じ感想を言われ、田口は恥ずかしくなり「書き直す!」と短冊を引ったくろうとした。
ところが素早く避けられてしまい、短冊は再度看護師の手に渡った。
「このお札…じゃねぇ、短冊は霊験あらたかだぞ。何と言っても『天窓のお地蔵様』手ずからの短冊だからな。」
「速水っ!!」
看護師は二人のやり取りに笑いながらその短冊を笹の上部へと飾った。
「お前なぁ、ああいうのはもっと可愛らしい事とか色っぽい事を書けよ。」
「いい歳した男が可愛い事なんて書けるか。」
小児病棟を後にしても速水は未だにクスクス笑っている。田口は速水の言う『色っぽい事』の部分はあえて無視した。
「じゃあお前ならなんて書くんだよ?」
と聞けば、速水はニヤリと不敵な笑みを見せる。
「俺はいいの。神様に頼んでどうにかなるくらいならとっくの昔に頼んでるさ。」
「……。」
「ま、俺が今お願いしたいのは神様じゃなくてお前だね。」
「へ?」
田口は思わず気の抜けた返答をしてしまった。しかしはっと気を引き締める。速水のお願いは突拍子もないことが多いので、迂闊に返事は出来ない。
「何だよ?まぁ…聞くだけ聞いてやる。」
「何だかえらく上から目線だな。まぁ、どうでもいいが……今週末、一泊で温泉行かないか?」
「え?」
と聞き返したところで、今度は突然速水のPHSが鳴った。
応答を終えると
「じゃ、後で!」
と速水は慌ただしく駆けて行ってしまった。
「…なかなか楽しい願い事じゃないか。」
最近は増えてしまった余計なデスクワークのおかげで身体中が凝っている。速水の『お願い事』はとても魅力的だ。
職場だというのにうっかりと顔が緩んでしまそうだ。
田口は心中で早速、週末に向けての仕事の算段を整え始める
速水の願い事は、早くも実現されそうな気配だった。
サイト初めてのイベント事なので、慌てて書いた;; ちょっと着地点を見失った気がする(反省)。