ネコ耳行灯
何がどういう経緯なのかはさっぱり分からない。
でも、そんなのは些細な事だ。と、速水は強く思った。
―――こんな田口を見られるなんて…眼福だ!
今日は久しぶりに二人の休みが重なる日だったので、速水は昨晩から意気揚々と田口の家に泊まっていた。
もちろん親密かつ濃厚な一夜を過ごし、心身共に満たされて二人が眠りについたのは深夜も大きく回った頃だった。
そうなると翌日は休みという事もあって、当然寝坊する。
ところが…
何となく目覚めた早朝。隣で寝ていたはずの田口の姿が無い。
いぶかしみながら速水がふと室内に目をやると、部屋の隅にパーカーを頭から被り、体育座りで身を縮める物体・田口がいた。
「ん? どうした?」
速水が半身を起こすと田口の身体がビクッと揺れた。挙動不審な様に首を傾げ、布団から出て近付くと
「ダメッ!来るなっ!!」
とすごい勢いで拒否された。
しかしダメと言われれば尚更気になって近付きたくなるものだ。
「おい、どうしたんだよ?具合でも悪いのか?」
本当にそうなら医者としても恋人としても見過ごす訳にはいかない。田口は嫌だ、ダメだ、と言うが部屋の角にいるのであっと言う間に追い詰められ、半ば強引に顔を上げさせられた。
パーカーのフードが頭から滑り落ち、そこから覗いたのは…。
いつものぼさぼさ頭から飛び出す見慣れないモノ。
それは三角で髪と同色で光沢のある……
ネコ耳だった。
―――ヤ、ヤバイ…可愛い。
困惑で半泣きの顔と、感情と直結しているらしい垂れたネコ耳は速水の心を一瞬で鷲掴みにした。
「こ、これって…?」
「…さっき起きて、洗面所で鏡見たら……付いてた。」
涙目で見つめられると速水の鼓動が大きく脈打つ。何も言わない速水に不安を覚えたのか、田口はさらに心細い顔になる。
「き、気持ち悪い、よな…?」
「バ、バッカヤロー!可愛いじゃねぇかっ!」
思わず本音を叫んでしまった速水だった。
「うん、変じゃない。いいな、それ。」
大きく頷き、満足そうに笑う速水に田口は呆然とし、こちらも思わず本音を漏らした。
「…お前、変態か?こういう趣味だったのかよ?!」
「馬鹿言え。お前だから良いに決まってんだろ。」
とからりと笑われ、田口は抱きしめられた。平然と言われた内容があまりにも恥ずかしくて、田口は真っ赤だ。
「ん?」
抱きしめたら何か細長いモノが速水の視界を横切った。
―――ま、さか…
「お前!尻尾も付いてんのかっ?!」
「あっ!」
田口はしまった、と言う顔で慌てて隠そうとするが長い尻尾は隠せるようなモノではない。
焦って混乱する田口をよそに、速水の頭は沸いていた。
―――やべぇ…どうしよう。可愛過ぎる!
困惑で半泣き寸前の田口を宥めて落ち着かせ、今朝は速水がコーヒーを入れてやった。ついでに、休みの朝にしてはちょっと早いが朝食も取ってしまうことにした。
どうにか衝撃から立ち直った田口が尻尾を揺らしながら冷蔵庫の中を物色する後ろ姿に、今度は速水の方が落ち着かなかった。
「お前、体調はどうなんだ?」
「うん、別に普通。発熱とか痛みも無いな。」
確かに食欲もあるようで、今も昨晩スーパーで半値になっていたカットフルーツに手を伸ばしている。
たまにピクピクと動くネコ耳と尻尾に速水の目が釘付けだなんて事には気付いていない。
とにかく速水は今日の田口が可愛くて可愛くて仕方ない。普段の何気ない仕草も、ネコ耳と尻尾が付いただけで格段に愛らしく見える。
……末期症状だった。
そして朝食後に事件は起きた。田口の様子がおかしくなったのだ。
椅子から立ち上がると急にふらついた。
「! どうした?!」
速水が慌てて身体を支えると、田口の表情がぼんやりしている。
「大丈夫か?」
「ん…だい、じょーぶぅ…」
かなり間延びした返答で、まるで酔っぱらいみたいだ。尻尾もパタンパタンと揺れて、速水の身体を叩いている。
「何だ、眠いのか?」
「……なぁんか、フワフワ‥す、る…」
言葉がどんどん怪しく舌っ足らずになって来て、ますます酩酊モードだ。
速水は首を傾げて食卓を振り返る。朝だからアルコール類は当然無い。何に酔ったのかさっぱり解らなかったが、ふと目に留まった物がある。
田口が食べていたフルーツの入ってた容器。
速水は以前、たまたま仕入れた知識を思い出した。
―――ネコはキウイフルーツを食べると酔うんじゃなかったか?
キウイはマタタビ科の果実なので、ネコが食べるとマタタビ同様の効果があると聞いた覚えがあった。
そしてあのカットフルーツにはキウイも入っていて、田口はそれを食べていた……。
―――酔った?いや、酔ったんだな。
気持ち良さそうに自分の腕での中でフニャフニャしてる田口を見て、速水はほくそ笑み心中でガッツポーズをとった。
「少し横になるか?」
まさに下心丸だしのスケベ親父の台詞だ。
布団に横たえてやると田口が小さな吐息をもらす。それが色めいて聞こえてしまうのは、速水が煩悩全開な証拠だ。
「行灯…」
髪を撫でネコ耳の後ろ辺りを擽るように触ると、ピンと立った耳がピクピクと動き、それがくすぐったいのか表情が悩ましげになる。
目元にキスを落とし愛撫を施してやると、声無き抗議のつもりか長い尻尾がパタパタと速水の背を叩く。
「うるさい。黙って(?)感じとけ。」
速水の下で吐息のような声をあげて身を捩る田口は、酩酊状態で『好きにしてw』と誘っているとしか思えなかった。
深いキスを仕掛け、足を割って敏感な部分をそっと撫で上げれば身体が震え、尻尾が速水の腕にぎゅっと巻き付いた。
「欲しいか?」
と聞けば……田口はほんわかと蕩けるように笑った。
速水は人生で理性の切れる音を初めて聞いた。
「………で、コレなのか?」
田口の声はツンドラ気候を凌ぐ冷気を帯び、視線も冷ややかだ。
ここは昼休みの愚痴外来。藤原看護師は有り難いことに不在だ。いたらこんな話は出来ない。
昼休みの貴重な時間に押し掛けた速水は、田口に紙袋ひとつ渡した。中を見て、田口の目は点になった。
中身は…ネコ耳カチューシャ。
間違っても成人男子、しかもおっさんが付ける物ではない。
速水曰く
「初夢に出てきたネコ耳を付けたお前が異常に可愛かったから付けて見ろ。」
との事。
「夢と現実と妄想を一緒にするなっ!」
と叫び、田口が激しく嫌がったのは言うまでもない。
結果、田口の答えは…
精神科の沼田准教授への紹介状だった。
第二弾もまさかの夢オチ!……正月早々レッツ逃亡!!