それはまるで…
「あ…ビール、もう無くなった。」
いつもの4人が集まりダラダラと飲んでいたら、ストックのビールが切れた。
「ちっ、しょうがねぇな。」
と島津が愚痴るが俺としては甚だ不本意だ。
「ウチを宴会場に使うなら、ショバ代として持ってきたっていいだろ。」
狭くてもむさくてもここは我が家。家主の俺は強気だ。
しかし島津と速水は買いに行こうなんて露ほども思っていないし、彦根だって後輩のくせに渋っている。
結局じゃんけんで負けた俺が買い出しに行くことになった。貧乏くじを引き当てる体質なんだろうか?と真剣に悩みそうだ。
「おーい、行灯!」
とぼとぼと商店街への道を歩いていると、何故か速水が追いかけて来た。
「どうした?」
「俺も買い物があったんだ。飲んでたら店が終っちまうから、ついでに付き合う。」
「なんだ。それなら最初からお前が買い出しに行けばよかったんだ。」
「後で思い出したんだよ。」
ぶっきらぼうな言葉がすこし照れ隠しに聞こえたのは気のせいだろうか。
2人だけで歩くのが、俺はほんの少し嬉しい。
速水への特別な感情がそうさせている。
彼に惹かれている、と自覚したのはいつだろう?
でも速水に告げるつもりは毛頭無い。
この不毛な想いは誰にも知られずに、俺の中だけでセピア色の思い出になれば良いと覚悟していた。
折しも商店街はちょっとした夏祭りで、いつもより人出が多い。
「へぇ…ホタルだって。」
速水が立ち止まって看板を見やった。俺も足を止め看板の奥を見ると、そこには黒いシートで覆われた大きなビニールハウスみたいな小屋が設えてあった。
「ちょっと見て行こうぜ。」
速水がこういう催し物に反応するとは意外だった。
「遅いとアイツ等に文句言われるぞ?」
「別に何時間も待たせるワケじゃねぇんだからいいだろ。」
とちょっとイタズラな笑みを浮かべて奥へ行ってしまったので、俺も慌てて後を追った。
入り口は暗幕が掛かっていて、それをめくって入ると当然真っ暗だった。先に入った速水の姿すら見えない。
暗反応についていけずちょっと面食らっていると、突然手を掴まれた。
「!」
「…予想以上に真っ暗だな。」
速水が俺に声を掛ける。暗いからなのか、囁くような小声だ。
「…手……お前?」
「先が結構長そうだからな。こんなところではぐれたら厄介だ。」
ただの友人の親切心。なのに…俺の鼓動が乱打している。
今までだってバカみたいに触れ合って来たのに、状況が変わるだけでこんなにも意識してしまう。
どうかこの焦りが速水に伝わっていませんように……
「あ…」
目の前を小さな淡い光が過ぎ去る。
目を凝らせばそこここに見える幻想的な小さな光。点灯を繰り返し、ふわふわと宙に舞う光景は儚くも美しい。
「きれい…だな。」
「ああ…」
2人でしばらく立ち止まる。速水の手から伝わる温もりと目の前の美しさに、俺は少しだけ酔いしれた。
しかしそれもつかの間。後から入ってくる客に押され、俺は速水に手を引かれたまま出口へと向かった。
出口の手前、暗幕を潜る時。
速水がつっと俺の手を離すのは、もちろん自然なことだ。
それを寂しい、と思ってしまう自分自身に苦笑してしまった。
あれからもう20年近く経った。
同じ病院に勤め、ごくたまに顔を合わせて会話を交わす。
俺たちのスタンスは今でも変わらない友人同士。
あの初夏の出来事は忘れられないが、本当にセピア色のおぼろげな思い出に変わっていた。
今年も商店街に夏祭りの季節がやってきた。
あれからホタルの小屋は毎年出るようになり、今ではすっかり祭りに定着して名物になっている。
俺は何となく祭りの商店街に足を運び、ぶらぶらと雰囲気を楽しんでいた。
「行灯!」
突然呼ばれ、肩を叩かれてビックリした。
「っ!速水?!」
振り向くと速水がイタズラな笑顔を浮かべていた。
同じように歳を重ねたはずなのに、何故だかあの頃…あの夏の日に戻ったような錯覚をおこす。
「なんだよ、豆鉄砲食らったような顔して。」
「いや…気を抜いてたからホント驚いた。まさかこんなとこで会うとは思ってなかったから。」
「こんな人混みでぼーっとしてると危ねぇぞ。」
とからからと笑う。
どうやらめちゃくちゃな勤務時間からようやく解放されたらしい。
「で、買い物しようとこっちに来たらお前を見かけたワケ。」
肩を並べて人混みを歩く。あの頃よりも祭りの規模も大きくなって人も集まるようになっていた。
「懐かしいな。ホタル、まだやってたんだな。」
看板に気付いたのは、やはり速水が先だった。
「…ああ。」
「じゃあ懐かしいついでに見ていくか。」
「40の男が2人で見たって楽しかないぞ。」
「いいから、いいから。」
何も意に介さず俺を誘うのも昔と変わらずだ。
そしてあの時と同じように暗幕の中に入る。
やはり急な暗転に目が慣れるまでラグがあるのは仕方ない。
「おい、いるか?」
速水も暗闇の中で一瞬、俺を見失ったらしい。
「ああ、こっちだ。」
と声を掛けると……あの時と同じように手を握られた。
「!は、やみっ!」
責める声が思わず動揺して詰まってしまった。
「暗いんだからわからねぇよ。」
俺の耳元で囁くのは、あの頃とは違う大人の声音。
そして違うのは声だけでなく、手の感触と力強さもだった。
ホタルを楽しみ、小屋から出る。やはり速水は自然に手を離した。
俺はまた20年ぶりにあの寂寥感を味わうことになった。
…あの時の胸の疼きが蘇る。
賑わう商店街を抜け、俺たちは黙って歩く。
住宅街を通り公園に差し掛かったところで速水が足を止めた。
「なぁ、行灯。」
街灯の下で俺と向かい合う顔は真剣だった。
「好きだ。」
唐突な告白。それはまるで少年のような羞恥と潔さが混ざった一言。
俺は…何も言えなかった。
「好きだった。……最初にホタルを見た時から…」
ああ…… もう……
「…ばかやろう……」
俺はそれしか言えなかった。もう言葉なんて出ない。
たぶん俺の顔は泣きそうに歪んでいたに違いない。速水はひどく優しい笑顔で手を差し出した。
俺は…初めて自らその手を掴んだ。
それはくすんだセピア色の思い出が、鮮やかに色付いた瞬間だった。
学生時代の速水クンは、せっかく口実をつけて後を追ってきたのに若さ故のヘタレで告白できずだったんです。
最後の『ああ…… もう……』はどうやって終わらせようか迷った、私のつぶやき込みで;;
結局は、『暗闇で手を握られてドキドキする行灯先生』が書きたかっただけなんです。